3. こじらせた恋を治すため

 言ってしまえば、僕は恋を知らないでこれまで生きてきた。物心着くまえに両親は傍にいなくて、おじいさんとおばあさんが僕を高校まで通わせてくれた。高校を出てすぐに就職した働き口は、おじいさんの昔務めていた職場で、そこで僕は召使のように社長にこき使われた。会社の事務所に泊まり込み、夜中まで書類整理。昼は社長が行く先へついてまわり、よくわからない会話にうまく話も合わせられず、苦痛でしかない毎日を淡々と過ごしていた。職場には男しかいない。運送会社だと思うけど、時々社長に言われて廃品の回収なんかも行かされた。給料は雀の涙ほどで、おじいさんとおばあさんにそのまま預けて、代わりに弁当と朝夕の食事代をもらいながら、休みなく毎日を繰り返していた。

 一年くらいそうして過ごした頃、その会社が倒産した。社長は家族と街から出ていき、そうして僕はおじいさんとおばあさんの家に戻ることになった。おじいさんは「すまない」と涙ながらに僕に謝り、これまで預けてきたお金の入った通帳を出して、僕にこう言った。

 

 「お前も、この街を出ていかなきゃな。もう、私やばあさんにしてやれることはあんまりない。むしろこの先お前に迷惑をかけてしまうかもしれん。だから、これを持って都会へ出ろ。都会ならなんとか、男一人食べていけるだろうから。」

 

 通帳に中には2百万円と少し入っていた。たぶん、この一年間ためた金額よりも多いと思った。なのでそう言うと

 

 「お前のためと思って、前に世話になった会社を紹介してやったのに、こんな結果になって私にはどう責任をとったらいいかもわからん。なので、その詫びだ。」

 

 なんだかとても悲しくなったのを覚えている。

 

 「私たちのことは、心配しないで。なにかあったら帰ってきてもいいから。けれど、このままここにいてあなたの人生を私たちのために使うようになっては駄目。そんな真似は、娘のためにもさせられないの。」

 

 ばあちゃんが娘と言ったのを聞いて、母さんのことなんだろうと思った。そうして何か聞いてはいけないことが、おじいさんとおばあさんと、娘との間にあったんだろうなって勝手に思って、聞けなかった。

 

 「ばあちゃん、じいさん。このお金は全部は貰えません。これまで育ててもらった恩もあるし、俺を高校まで行かせるのに大分苦労させたろう。だから、少しだけでいいです。」

 

 じいさんが頭を下げながら、首を左右にプルプルと振るのが辛かった。泣いているようだった。ばあさんも、涙流しながら口を抑えている。

 

 「住むところを見つけて、働くところを探して見つかったら、それにかかった分だけ貰いに来る。だからこれで体に良いものを買ってよ。お願いします。」

 

 そうして交通費と数日分の食費に3万円をもらうと、僕は東京へと向かった。僕らの街からおおよそ2時間の、大都会だった。

 住むところを探す前に働き口をと思って、コンビニで就職情報誌を買った。するとそこに寮付きの案内があったので、さっそく公衆電話から応募の電話。するするっと決まって、次の週から働くことになった。ファミリーレストランのホールスタッフということだったが、店長候補のため他にもいろいろと覚えなきゃいけないらしい。そのことを帰っておじいさんに話すと、おじいさんはまた涙を流して喜んで言った。

 

 「あの娘がお前のことを見守っているんだろうな。だから、な、無理はするなよ。無理して体壊したら元も子もない。」

 「そうよ、間違っても誰かのためになんて無理をしたら駄目よ。そんなところを受け継がなくてもいいんだからお前は。幸せになるんだよ。」

 

 そうして仕事が始まる翌週まで、おじいさんとおばあさんと過ごした。これまで世話になった恩返しに、風呂焚きや食後の茶碗洗いは全部引き受けた。すると「ありがとう」とおばあさんは笑顔で喜んでくれて、おじいさんは「そんなにしなくてもいいから」と、喜びながらも心配していた。けれどそうしないと何か申し訳ないような気がして、そうして翌週がやってきた。

 

 結局のところ、住むにも働くにもお金はほとんど必要がなくなったので、通帳はおじいさんに預けた。おじいさんとおばあさんは最後まで渡そうとしていたが、僕にはそれを受け取ることができなかった。受け取ってしまうとなんか、二度と会えないような、そんな気がしていたからだ。

 

 そうして都会で最初の職場に働きはじめ、おじいさんとおばあさんの忠告を忘れて、同僚や上司のために精一杯働いた。するとどういうわけか、お金も貯まらない時間にも余裕がないと、そんな生活になっていきついに一年が過ぎた頃、体を壊して仕事を休むことになった。医者の話では、慢性的な過労と睡眠不足とのことだった。そうして3ヶ月過ぎても回復の様子がみられないということになり、仕事を失った。住むところもついでに。

 

 住むところを失くすその日が来て、上司のそのまた上司にあたる人が僕に挨拶に来てくれた。その人が次の仕事にあてはあるのかと聞くので、僕はありませんと素直に答えた。すると、その人が知り合いを紹介してくれると言った。それが今のバイト先。過労で倒れるほどの頑張りは認めているとその人は言った。僕ははあ、と返事をして、するとその人はこうも言った。

 

 「頑張るなら、自分が壊れないようにする自己管理も必要だ。言われるがままにはいはいと素直に引き受けてばかりでは、また同じことを繰り返すよ。」

 

 言われていることの意味がよくわからなかった。けれど、同じことをおじいさんとおばあさんにも言われたなと、思い出した。

 

 「ありがとうございます。」

 

 そう応えて、僕は1年暮らした寮を後にした。田舎のおじいさんとおばあさんにそのことを知らせると、とても心配されて帰ってくるかと聞かれた。けれど、帰ればまた前と同じことでおじいさんおばあさんを悩ませてしまうと、そう思ったので僕は「次の働き先はもう決まっているんだ。」と告げて、それ以上は言わなかった。

 ほんの少しだけ残った蓄えを、新しいアパートに使いきり、僕は新しい働き先へと移っていった。

 

 こんなふうだったから、僕は恋を知らない。だから、あなたへの想いをどう伝えたら良いかわからずに、こじらせてしまったんだと思う。

 

 こじらせた風邪は、安静にするか病院で点滴を打てば回復へと向かう。だから同じように、僕は安静に過ごしたんだけど、どうも恋はそれじゃあ治らないんだとわかりはじめていた。だから点滴は、どうしたら良いんだろうかと、あれこれ考えて、本を読んで、心が嬉しくなることがきっと点滴と同じような効果があるだろうとそういうふうに考えて、そうして3日ぐらいを使った。

 嬉しくなることをあれこれいろいろ考えてみたら、やっぱり Kiss したいと思って、それをするためにはどうしたらいいかを、中学生くらいの頃に同級生と話した言葉まで思い出して考えた。

 やっぱり、最初は告白からなんだろうなと。そう答えを出してようやくぐっすりと眠れた。ひさびさに夢もみた。