4. Dir boy, I am a girl.

リビングに入るとそこには、贅沢に飾り付けられた料理の数々と、アイストールに入れられたワイン、そして「Happy for you. I love you.」とチョコでコーティングされクリームで飾り付けされた手作りのケーキがあった。

 

なぜ今日こんなことを?

見るとそのすぐ隣には、一通の封筒が置かれている。

Dir boy, I am a girl. 
I love you, becase you are nice guy.

ありがとう、長い間。
今日やっとアパートが借りれた。
シェアだけど、ゲイの男だし、あんまり身の危険は感じてないの。

長いことごめんね。でもなんか離れがたくて。
だからこれはお礼とお詫びです。

 

カレンダーを見ると、今日は俺の誕生日だった。並べられた料理の数々は、遠方の市場まで早朝に行かないと手に入らないものもある。俺が教えた食材だ。今朝何も言わずに出かけた理由がはっきりした。それと同時に、俺の中でこのところずっともやもやしていたものが形になった気がした。

 

俺はアパートを飛び出し、道のはるか先に彼女の後ろ姿を見つける。

まだそんなに遠くヘはいっていない。ひさしぶりの全力疾走はとてもこたえたけれど、なんとか彼女に追い付くことはできた。

 

夕闇が迫る、クイーンズランド。その通りを荷物を引きずり歩く彼女の、ちょうど3メートル後ろをついて歩いてゆく。彼女はとうに気づいているはずだ。俺は意地悪で声をかけない。

 

「トシ!...なんで、ついてくるのよ!?」

ついに彼女が声を発した。俺は黙って後についてく。

 

「ついてこないでよ。出てけって言ったの、あなたの方でしょ。」

まだ、もうすこし。

 

「来ないでよ!バカトシ!なにか用があるっていうの!?」

爆発した彼女は足を止めて、俺の方に背を向けた。...泣いているようだった。

 

「出てくから…。迷惑かけてごめんなさい…。だから嫌がらせみたいな真似はやめてよ…。」

俺は彼女に近付いて、そして両方の肩に手を置いた。

 

「仕事はまだ決まってないだろ。なのになんで部屋を見つけるんだ?順番が逆だろ。」

「馬鹿にしないでよ!仕事ぐらいすぐ見つかるわよ!女だって強みがあるんだから!!」

その言葉に、俺の中の何かは傷ついたようだった。そこでやっと自分の心を知った。

「...頼みがあるんだ、それを聞いてくれたら出て行かなくても良い。」

彼女は一瞬ひるんだようだった。それが何なのか、俺の言葉を待っている。

 

「結婚、してくれるか?紙切れ一枚の契約で不安なら、もう二三枚書いてもいい。おれからの譲歩はそれだけだ。」

クイーンズランドの湖畔に日が沈んでいく。ケーブルカーにはもう明りが灯っている。季節はいま、暖かくはあるが、もうすぐ寒い日々が始まる頃だ。雪の頃は観光客が世界中から押し寄せてくる。そうすれば彼女にもシェフかパティシエとしての働き口が見つかるかも知れない。

俺の仕事は、季節に関係なく日々同じ事のくり返しだ。だから彼女がいたら、俺には変化が手に入るだろう。そうして彼女には、何をあげられるだろうか?

 

一緒に家に向かいながら、彼女は俺からの申し出に、二つ三つ、条件を出した。

俺はそれを快諾した。想像していたよりもずっと少なく、そして簡単に思える条件だった。

3. いつの間にかいつかれた猫のように、彼女は俺の部屋を自分の部屋のように暮らしている。

いつの間にかいつかれた猫のように、彼女は俺の部屋を自分の部屋のように暮らしている。俺は俺で生活をして、彼女も彼女で食べている。暮らしに困る事はないのだけれど、うーん。

なんだかちょっと日本人の俺には不自然に感じる時が、たまにある。

昨夜も同じベッドで寝て、起きたら彼女はいなかった。

別段心配もしなかったのだが、なぜだかモヤモヤっとしたものを感じて、そのせいか今日はやたらと失敗続きで職場を早くに帰されてしまった。

そうして部屋に戻ると、彼女がそこにいた。

「あれ?もう帰ってきちゃったの?」

彼女は首筋と鼻の頭に白いものがついたまま、玄関のドアを開ける俺に向かってそう一言告げると、奧へと走っていく。

どたばたと音がする中、俺は黙って自分の部屋へ足を向けた。クローゼットに背広をかけて、床にごろんとひっくりかえる。

「...どしたの?なにかあった?」

彼女が相変わらず白いものをつけたまま、部屋の入口から顔を覗かせた。

「別に...なんでもない。」

「あ、そう。じゃいいけど、しばらくリビングには入って来ないでね。」

「ここから動かないでいろと、そういうことか?」

「そう、そのまま石になってて。」

ドタバタと走っていく足音を聞きながら、窓の外に見える木立の陰影に自然と目が向いた。今日も変わりなく、太陽は東から北へ、そして今は西へと沈んでいく途中のようだ。

なんだかちょっとムシャクシャしてきた。なんであんなつまらない失敗ばかりしてしまったのだろうか?書類にインクをこぼす!?PCの電源を切り忘れる?!

どれもこれも普段なら絶対にしないのに、なぜ今日に限って...。

 

「おい!!」

俺の頭の中で、今日一番の最悪な事をしでかしそうな気配がうごめく。

「おいったらおい!」

バタバタと足音が近付いてくる。

「なによ、まだ準備ができてないんだから...」

言いかけた彼女の言葉を遮り、俺は制止する理性に耳を貸さず、最悪の一言を言ってしまった。

「いつになったら部屋を探すんだ?そういう約束だったろう。」

床にゴロリと仰向けのまま、俺は彼女に突き付けた。言葉の刃物を。

「もう半年になるんだぞ!いい加減出てけよ!お前が頼み込むからしかたなく俺は...。」

見ると、彼女の目に光るものが浮かんでいた。窓から差し込む夕陽が乱反射して、輝いているようだった。

「とっとと出てけ!そんな涙なんかには騙されないぞ!約束じゃ二ヶ月も前に出ていってるはずだ!!」

無言のまま、彼女は駆け出していった。リビングの方向へと。俺は相変わらず仰向けのまま窓の外から差し込む光を眺めている。どこか遠くでごそごそと音がした。けれど俺は動かなかった。

 

やがて数分が過ぎ、玄関のドアが開いて、閉まる音がした。

それから暫くして、俺はリビングへと向かった。

 

一体何をしていたんだ、あいつは?

2. 一昨日からずっと誰かに話したかったんだ。やっと共感できる人に逢えたみたいね。

「一昨日からずっと誰かに話したかったんだ。やっと共感できる人に逢えたみたいね。」

隣に来て外を眺める女に太陽の光が右側から当たる。白いシーツが陽光に反射して、黒髪がキラキラと輝いて見える。ぼっとしてその光を眺めていると、また女が話しかけてくる声が聞こえた。

「どうしたの?みとれてる?」

俺は女から目を逸して、外のアスファルトに目をむけた。なぜそうしたのかわからない。ただ、正直に返事を返すのがなんだか恥ずかしい気がしたのだと思う。

しばらくの間、無言で外を眺めた後で、俺は黙って女にキスをした。女もそれを拒まず、長い時間唇が重なりあう。シーツは床に落ち、女の腕が俺の首に巻き付いていく。背中に回した手の平に女の背中がしっとりと吸いつく。ふれあった部分が、昨夜より暖かく感じた。

孤独の中にどれだけ漬かれば、これほど人を求めるのだろうか。何もかも投げ出した覚悟でやってきたのに、故国の言葉に魅かれてしまう。太陽が昇る方向にも気がつかなかった三年は、馴染めなかった故郷の生活から逃れたい一心でがんばってきた。けれどそれは、ただの逃げだったのだろうか。

「おかしな話ね。」

顔を離した女が、見上げて言う。

「なんで外国へ来たのに、おんなじ国の人に抱かれてるんだろう。」

質問なのか感想なのかわからないまま、黙って女の目を覗きこむ。

「あなたみたいな人、あっちにはいっぱいいるのにね。」

気分が混乱してくる。俺は女が何を言いたいのかわからなかった。

「やっぱりあれかな?ホームシックってやつ。」

無邪気に笑って言うと、女はベッドへと小走りに向かう。俺は混乱したままそこに立ち尽くしていた。頭では色々な考えが駆け回っていく。すこし怒りが混じり出すのを感じる。

 

「ね、私のスティ先いかない?こっちのパパとママに紹介するわ。」

ベッドの上で下着を身に着けながら女は言う。

「それか、あなたの家に行く?奥さんとかに紹介してよ。」

反射的に言葉が出た。

「俺は独身だ!」

 

女に腕を掴まれて外へと出る。真北に上がった太陽は容赦なく紫外線を降り注いでいた。からりとすがすがしい空気に包まれて、胸に汚れのない大気が流れ込んでくるのを感じる。なのに心は最悪な気分だ。これから先どうなるかまったくわからない。最悪なのに、なぜかそれでも良いやと、そんな気分が全身を心地好く覆っていく。

...不思議なものだ。

1. 太陽に向かってみたら言われたとおりだった。午前中なのに…不思議だ。

太陽に向かってみたら言われたとおりだった。午前中なのに...不思議だ。

三年前から住んでいる土地での新たな発見に、なぜだか同じ年月積み上げてきたいろいろな鬱憤が一気に吹きとんだ気がした。右の頬に差す日の光が伸びかけの髭をちりちりと灼いていく。道路の歪んだアスファルトがいつもと違って愛嬌があるように感じた。いつもなら整備の悪さに頭に来て、せっかくの休日がまるまる不機嫌になっていただろう。

室内に戻ると、昨日出会ったばかりの女がベッドの上で寝息をたてていた。見た感じでは俺と同じ東洋人。ひょっとしたら日本人かもしれない。けれど昨日はそんなこと気にもとめずに夢中になって求め続けた。人恋しかったのかもしれない。なにしろ人と話をするのさえ、もう何ヶ月ぶりだろうか。

女の顔をのぞきこむと長いまつげに気がついた。寝息とともにゆっくりと上下するまつげ。少し開いた口元は薄い唇。丸みをおびた頬に小さなニキビができかけている。眠っているときの女は静かに寝息をたてている。起きていたときの賑やかさが嘘のように感じる。まあ、そんなことを言い合えるようになるまで一緒にいられたためしは無いが。だいたいのところ、半年程で女の方が去っていく。毎回おんなじ台詞を残してだ。

寝顔を飽きずに眺めていると、女は枕に顔を埋めるように寝返りをうった。まるでうちのそばで飼われている猫のようにくるんと向こう側へまるまっていく。一瞬起きたのかと思ったが、寝息のリズムは変わらない。安心しきって眠る姿に少しだけ情が移る気がした。

もう一度バルコニーへと足を向ける。昨夜女から聞いた言葉がとても新鮮だった。そんなことを考えたこともなく過ごしてきた年月が、今となっては少しだけ恨めしい。何が恨めしいのかを考えていると、背後に人の気配を感じた。

振り返るとシーツにくるまったままの女が、上半身を起こしてこちら側を眺めている。光差す外の風景を眺めているのか、俺の方を見ているのか、どちらとも解からない。

「何見てるの?」

女が言った。言葉に少しだけ好奇心が感じられる。

「言ったとおりだ、驚いた。」

俺の返事に女は「ああ。」と返事をして、シーツにくるまったまま部屋の奧へと歩いていった。返事には少しだけ笑い声が含まれていて、それが癇にさわった。さっきまで感じていた感情が嘘のようにかき消えて、顔に当たる太陽の光はいつものように何の意味もないものに変わっていく。アスファルトはこの国の愚鈍な政治の象徴に変わり、昨夜のことがひどく憂鬱なできごとへと変化していった。

「ね、どんな気分?太陽が右のほほから当たる朝ってさ、不思議でしょ?」

戻ってきた女が楽しそうに言う。声の調子からさっきの笑い声は俺を馬鹿にしたものではないと気がつき、感情の波が安定していくのがわかる。

右のほほから左のほほへ