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紫 の 雲 靉靆 と 棚引き

いつかどこかで

夢のまたその先へ

喧騒と香り

「そんな難しいことを言ってねえだろう!」

 

 大きな怒声が突然に店内に響き渡った。

 昼過ぎてお茶の時間より少し前の、ファミレスでのことだ。

 

「難しいか難しくないか、決めるのはあんたか?! 俺ら技術者が言う難しいの意味もわかんないくせに何言ってんだ!」

 

 ウェイトレスが声のした方を見ながら僕の席へとやってきた。トレーに載せた水入りのグラスを置くと僕をようやっと見て言った。

 

「すみません、騒がしくて。」

 

「いいえ、大丈夫。慣れてますから。」

 

 え?と、僕の返事に少し戸惑いながら、ご注文がお決まりになりましたらボタンでお呼びくださいとそう言ってウェイトレスの娘は厨房の方へと帰っていった。 店内に他の客は見えない。 くの字型をしているホールの、たぶん逆側の先端あたりに声の主たちはいるのだろう。

 

「だからおかしいって!なんでそうなるんだよ?! よそはよそ、うちはうちだろ! 前のトラブルの時にあんたそう言って自分の責任をごまかしたじゃないか!」

 

 声を聞いた限りでは、歳の頃はおそらく20代半ばか後半。 先ほどの言い分から何かの技術者なのだろう。 昔ならまだ駆け出しの頃合いで、言い分はもう一人前といった感じがする。

 

「前の時は俺は俺でけつをもったろう! お前らに責任をおっかぶせたりしたか?! 自分で何とかできるときはこんな頭下げてまで頼まねえよ! 俺じゃあどうにもできねえから、お願いしますってこうして頭下げてるんじゃねえか!」

 

 こっちの声は、僕ぐらいだろうか? もうすぐ50歳になるかならないか。 人生の折り返しを過ぎて、一人前に仕事しなきゃいけないって社会的責任感や世間的な建前やらが気になる頃合いだろうに、若い技術者とほぼ同じ目線で会話をしている。 すごいな、と思った。

 

 

サイフォンの音とシルバーの感触

「お客様、ご注文はお決まりですか?」

 

 メニューを開きっぱなしであれこれと考えていたのを、どうやら注文で悩んでいると思い違いされたようだ。 10代のアルバイトだろう娘が、トレーを片手に僕の席へと来て尋ねた。

 

「ああ、もう少し待って。 あの騒ぎに気を取られちゃって、なかなか選べないんだ。」

 

「奥の3名様のお席ですね。 あの人たち、毎週これくらいの時間にやってきていつも言い合いするんです。 店長とかマネージャがちょうどいないから、私たちも手が出せないんですよ。」

 

「わはは、それは困ったね。 厨房にも社員さんとかいないの?」

 

「残念ですがいません。 厨房の人たちはこの時間は休憩ですから、だいたい外へパチンコしにいくか、休憩室で仮眠とってますよ。」

 

「へー、そうなんだ。 大変だね。」

 

「けどまあ、私も一応ここの社員ですから。 いざとなったらご対応します。 うるさすぎるようでしたら言ってくださいね。」

 

「あ、ああ。 その時はお願いします。」

 

 そう言って話がすむと、ウェイトレス姿の娘さんはまた厨房の奥へと帰っていった。 10代のアルバイトだろうと思い誤っていた僕は、彼女の去った後でペコリと頭を下げ詫びた。

 

 

温めたミルクとバターを塗ったブレッド

「だーかーらー! そこをそんなふうに話まとめてくるから! だからこんなことになるんでしょが! おかしいと思いません? 社長?!」

 

 奥の方からまた、さっきの若い方の声が鳴り響いてきた。 この声の主もひょっとすると20代ではなく、見たら僕と変わりない年齢なのかもしれない。 そう思ったらもうひとりの声の主も、あちらは案外20代の若者かもしれない。

 僕はそんな勝手な想像で少し吹き出して笑ってしまった。

 

「お決まりですか?」

 

 すかさず、ウェイトレスが顔を出して僕の方を見る。 どうやらよほど暇だと見える。 ぱちくりっとした瞳をくりくりさせて、トレーを片手ににじり寄ってくる。

 

「ま、まだ。 まってまって。 ちょっと、ツボに入っちゃって。」

 

 僕はさっきの想像と、ウェイトレスさんのにじり寄り方が、おかしな具合にミックスされて、笑いをこらえることができなくなった。 くっくっくっと、抑えても笑いがわき起こってくる。 苦しくてつい胸を抑えて咳き込んでしまった。

 

「お客さん? 大丈夫ですか? お客さん??」

 

 ガタガタっと奥の方から音が聞こえてくる。 そうして「どうした!どうした?」っと、男たちの怒ったような声が聞こえる。 それでも笑いがとまらずに押し殺している僕は、胸と腹が痛くて動けない。そのままシートに転がった。 ウェイトレスさんが駆け寄って僕の背中をさすりはじめる。 男たちの声と、分厚い手が、僕の頬をパチンと叩くのが感じられた。 薄目をあけて見ると、驚いたことに男たちは皆20代から30代のようだ。 ウェイトレスさんと並んでいるのを見ると、ウェイトレスさんもかわらない年頃に見えた。 それさえも、おかしかった。

 

「私、救急車呼んできます!」

 

 そう聞こえたウェイトレスさんの声に、これはまずいと、僕は体を起こした。

 

「おお! 気がついたみたいだぞ!」

 

男たちの喜びの声が、店内を渦巻いた。

 

「本当ですか? 大丈夫ですか? お客さん?」

 

ウェイトレスさんがまた駆け寄ってきて、僕の顔色を確かめるようにまじまじと見つめてきた。

 

「だ、大丈夫です。 それよりも・・・」

 

「それよりも?」

 

 皆、息を呑んで僕の言葉を待っている。

 

「コホン。 すみません、少し調子が悪くて。 お騒がせしました。 ありがとうございます。」

 

 僕は席を立って、駆け寄ってくれた男たちに感謝をこめて頭を下げた。 そうして次に、ウェイトレスさんに頭を下げてこう言った。

 

「背中をありがとう。 おかげで大事なくてすみました。」

 

「いいえ、そんなこと。 大事なくてよかったです。」

 

 こうして、よかったよかったと男たちは自分たちの席へと戻っていった。 ウェイトレスさんは新しい水を持ってきてくれた。

 

「ほんと、無事でよかったです。 ありがとうございました。」

 

「いいえこちらこそ。 ありがとうございました。」

 

 なんだか色々と思い込みや思い違いでコミュニケーションが弾んだある日の出来事。 そんな感じだ。

 大きな窓から見上げた空には、いつかどこかで見たような、大きな夏の雲がポッカリとたなびいている。 大事ない日常。